すべてのクリエイターへ向けた応援歌「数分間のエールを」
Youtubeで公開されているMV制作シーンが素晴らしかった.
バーチャル空間で3Dオブジェクトをモデリングしたりイラストを描いたりして映像を作っていく.VRヘッドセットが普及すればこのスタイルが映像制作の常識になるのだろうか.
溢れ出るアイデアを少しずつ形にしていく過程や,試行錯誤の末「これだ!」と思えるものが生まれる瞬間が描かれており,何かを作っているときのワクワクやドキドキを体験できる.
「一日が短い,他の時間が鬱陶しい!」
夢中になって手を動かしているときの感情をよく表したセリフだと思う.
あらすじ
MV(ミュージックビデオ)制作に熱中する石川県の高校生,朝屋彼方(あさや かなた)は雨の日の夜,路上ライブをしている女性の姿に心を打たれる.翌日赴任してきた教師,織重 夕(おりえ ゆう)はそのミュージシャンだった. 彼方は彼女の曲でMVを作らせてくれと懇願するが――.
どこで止めてもきれいな絵
色使いや光の表現が巧みで,どの場面も非常に美しい.
まず印象的だったのは織重の路上ライブ.虹色にキラキラ光る雨が透明な傘の上を流れたり,地面で弾けたりするさまは幻想的で美しい.その中でギターをかき鳴らして吐き出すように歌う織重はなにか暗いものを抱えているように見える.彼方と同じくその姿に見入ってしまう.衝動的にカメラを回す気持ちもわかる.
3DCGでありながら主線のないイラストがそのまま動いているような,セルルックアニメーションが特徴的.たまにイラストに戻ったように動きや表情がコマ送りになる演出もあり面白い.
青空の公園,窓から光が差し込む教室,夕暮れの海辺,ディスプレイだけが光る暗い部屋,どのシーンを切り取っても一枚の絵として成立しそうなほど美しい.
すべてのクリエイターへエールを
創作活動をしている人はもちろん,今は離れている人にもグッと来るはず.特にイラストやCG,動画などを制作している人は共感できる部分が多いだろう.観たあとは描きかけの絵や書きかけのブログ,時間があるときに勉強しようと思ってたアニメ制作などをすぐにでもやりたくなるに違いない.
モノづくりの楽しさが表現されている一方で苦しみや挫折も描かれる.織重はミュージシャンを志していたが世間からは評価されず教員の道を選んだ.彼方の友人である外崎(とのさき)は美大を目指すほどの絵の実力があるが,表現したいものがないと悩んでいる.人によっては彼らの中の誰かに自分を重ねることもあるだろう.熱中できるものを見つけたばかりの彼方か,実力はあるのに描きたいものがわからない外崎か,夢をあきらめた織重か.
本作はどんな状況であれ創作活動に翻弄されるすべての人に,彼方が作るMVと同じようにエールを送るような作品である.
共感できる出来事や一部の人にとっては馴染み深いものがたくさん登場する.作ったものが評価されてチヤホヤされることを妄想したり,作った映像を友達からプロっぽいと褒められたり,投稿した動画への「私は好きだな」のコメントに喜ぶなど.また,BlenderやCLIP STUDIO PAINTなど3DCGやイラスト,音楽,動画制作で使われるソフトの画面がそのまま出てくる.これらによってさらに物語に没入しやすくなっていると思う.
創作の苦しみや葛藤を爽やかに歌ったフレデリックの主題歌「CYAN」もよかった.本作は映像制作チームHurray!(フレイ)による初の劇場アニメーションとのこと.同チームのコンセプトがダイレクトに表現されている作品だった.

平凡な少年の非凡な冒険「T・Pぼん」
藤子・F・不二雄 生誕90周年記念作品としてNetflixで配信中.現在はシーズン1の12話まで配信されており,シーズン2は2024/7/17(水)から配信開始.
予告編が大変素晴らしくグッときた.
ジャイアンみたいなキャラが転落死するところで,ドラえもんとは全く違うものだとわからされる.そしてタイムパトロールの使命と主人公の葛藤,各時代で起こる人間ドラマを予感させる2分の映像だった.
ただ,これは12話分を詰め込んだものなので,本編は若干盛り上がりに欠けているように思えた.ぜひ1本の映画で見てみたい.
絵柄やストーリーはドラえもんの劇場版に似ているが,流血あり暴力ありでハードな内容になっている.改めて歴史考証も行われているようで主人公たちの行動が史実に影響している演出が面白い.
ある日,主人公の並平凡(なみひら ぼん)はタイムパトロール隊員のリーム・ストリーム,超空間生物ブヨヨン(CV:宮野真守)と出会い,タイムパトロールの見習い隊員として働くことになる.

あまり効かない神託
ぼんたち救助課の目的は,過去に死んだ人のなかで歴史の流れに影響しない人を救助すること.隊員たちは航空法ならぬ「航時法」を遵守する必要があり行動には制約が多い.
そんな彼らをサポートするひみつ道具的なアイテムが多数登場する.空間と時間を移動できるタイムボートには「自動かくれんぼ機能」がついており,持ち主が呼びかけるとどこからともなく出てくる.フォゲッターは作動しているあいだ対象者からTP隊員に関する記憶を消すが,スイッチを押し忘れることが多い.他にも全身の色素を一時的に変質させる薬,一定時間後に心臓が止まって仮死状態になる薬など取り扱いに注意が必要そうな道具もポンポン出てくる.
なかでも面白いのはホログラム.その時代・土地で信仰されている神様を空間に投影し神託を授けて対象者の行動を変えようとするが,これがほとんど効果がない.「神意に背くのか!」と脅しても折れず,挙げ句に邪神扱いされることもある.科学が発展していない時代では有効な手段のように思えるがすべて失敗している.
リーム「神託なんてそんなものでしょ 自分の信じたいことを信じるだけ」
未来の技術を使えば古代の人々を騙すのは簡単そうだが一筋縄ではいかない.時代を作り上げてきた人々の力強さを感じる.
冒頭で見せられたように主要キャラがいきなり死ぬかもしれないということに加え,過去でのささいな行動が歴史を大きく変えてしまう恐ろしさもあり安心して見られない.そこが本作の魅力.
媚びないVTuber「虚空教典」剣持刀也
にじさんじ所属のバーチャルライバー剣持刀也の著書.前半の4割くらいがエッセイでその他にお悩み相談,VTuberや父との対談が収録されている.2時間くらいで読み終わった.
著者の剣持刀也はVTuberグループ「にじさんじ」に所属するタレント.YouTubeで主にゲーム実況をやっている印象がある.コメントやマシュマロを介した視聴者とのやりとりが面白い.以前は対談形式のラジオでゲストとラップバトルをしており,毎回楽しみにしていた.
トークの節々で豊富な経験と知識があることを感じさせるが,多くのVTuberと異なりプライベートな話題は少ない.
僕はVTuberをやる上で人として好いてもらおうという気持ちはあまりなく、ただエンタメをお届けしたいと思ってやっているので、ゆったりした長時間雑談や寝落ち配信など、腰を落ち着けて視聴者とまったり話す場は設けず、エンタメ用のエピソードトークはすれど、悲しかった話、ムカついた話、自分の人生の話、己の思想など、自分語りをほとんどしていない。 剣持刀也.虚空教典(p.11).株式会社KADOKAWA.Kindle版.
そんな彼が5年越しの自己紹介として出したのが本書である.
世界に裏切られない方法
タレントという職業は,いろいろな人からいろいろなことを言われるので安定した精神状態を維持するのは難しいだろう.特にYouTubeとSNSを主な活動場所とするVTuberは精神的に摩耗する人も多いようだ.インターネットの匿名性もあり正負問わず様々な感情がのったコメントが飛んでくる.著者はメンタルを健全に保つ方法を同業者から相談されることがよくあるらしい.著者が言うには人間に世界に期待しているから心が傷ついてしまうのだという.
世界に絶対に裏切られない唯一の方法は世界に期待しないことだ、なんて16歳の僕が言うと冷めているだの老成しているだの言われるが、これは人間の悪性に諦念しているのではなく、単に悪性も肯定しているだけなのだ。 夜目遠目笠の内という言葉があるように、見えない部分を美しく期待してしまうこともまた人間らしさだが、完璧でないことにすら尊さを感じられたら、その時はさらに強くなれるはずだ。 剣持刀也. 虚空教典 (p.22). 株式会社KADOKAWA. Kindle 版.
どれだけ人生経験をつめばこのような考え方ができるのか.とても16歳の言葉とは思えない. www.nijisanji.jp
簡単に到達できる領域ではないが考え方は理解できる.無意識に他人に期待してそのとおりに行動してくれなかったとき勝手にがっかりすることがある.はじめから期待しなければこのようなことは起きない.これは自分自身への期待も同様で,裏切られたときには何らかのダメージを受ける.
消極的な姿勢ではあるが,自分にも他人にも期待しすぎないことは健全な精神状態を保つうえで重要だと思う.
自分のために行動する
著者はバーチャルライバーとして活動するうえで「媚びない」ことを過度に意識している.タレントと呼ばれる人たちはお客さんに対して多少は媚びるものだと思う.特に下積み時代は知名度を上げるためプライドを捨てて媚を売ることもあるだろう.芸能活動とは切り離せない媚びるという行為を著者は避け続けている.
著者にとって媚びとは「他人の為にする行動全て」だという.そのため母の日にカーネーションを贈ることも母親に媚びていると思うくらい拗らせてしまった.
昔は正常に機能していた脳内の媚びファイアウォールも、コメント欄にあった「剣持は媚びないのが媚び」という一文を目にして以来、エラーを吐き続けている。 剣持刀也. 虚空教典 (p.41). 株式会社KADOKAWA. Kindle 版.
その考えでは日常生活に支障をきたしそうだが,他人のために行動できないなら自分のために行動すればいいという.自分の中で完結していれば他人に媚びることはない.さらに以下のようにも述べている.
加えてこの理論はメンタルの強化にも通ずる。媚びにしろ恩にしろ、売ってしまったら対価を欲するのが人間。しかし自分がやりたくてやっているのであればそれがすでに対価なのだ。自分の善意をお節介と言いきれる人間は誰にも裏切られない。 剣持刀也. 虚空教典 (p.42). 株式会社KADOKAWA. Kindle 版.
著者が媚びを避ける理由は
- 媚びないほうが格好いい
- 視聴者と同じ土俵にいるため
- 親に見られるから
の3つだとしているが,日常生活で対等な人間関係を築く上でも媚びないことは重要だと思う.
一方的に他人に与え続けることは難しい.どんなにささいなことでも人に何かしてあげたときは対価を求めてしまうと思う.
私の場合はただの親切心でやったつもりでも,後になって「あのとき~してあげたのに」とか思い返すことがある.しかも自分は「してあげた」と思っているが,相手はそう思っていないこともある.対価が返ってこなければ一方的に不満を募らせるだけだ.人間関係において不満は我慢せず伝えるべきだと思うが,元は自分の親切心から始まったので恩着せがましくなり難しい.「他人のためにしてあげた」ことがストレス発生の原因になっている.
対等な関係を築くにはやはりギブアンドテイクが必要だが,完璧に実現できるものではない. 自分で勝手にストレスを溜め込まないために「自分のために行動する」のは効果的だと思う.
おわりに
ただのエッセイだと思っていたが文体や論調もあいまって信者に対して教えを説いているようで,まさに教典のような雰囲気があった.
また,しっかりオチが用意されていたり真面目に持論を語りつつ抜けているところがあったりと普段の配信と変わらない面白さがあった.
そのため本書は自身について赤裸々に語ったエッセイではなくどちらかといえば「ファンを楽しませるために書かれた本」であり,まだ秘めているものがあるように感じた. 謎めいた部分があるのも著者の魅力のひとつだと思う.
「おとなの教養 2 私たちはいま、どこにいるのか?」 池上 彰
「私たちはいま,どこにいるのか?」
2019年発売.著者は池上彰. 現代はテレビやインターネットで絶え間なく膨大な量のニュースが流れる. 不安や危機感を煽るようなものやセンセーショナルなものが話題になりがちだが,それらに振り回されてはいけない. ときにはニュースを掘り下げて「私たちはいま,どこにいるのか?」を考えるべきだと主張する. そのためには教養すなわち
- 時代が動いても変わらない普遍的な考え方
- 日々のニュースを捉え直す力
を身につける必要がある. 本書ではこの力を身につけることを目的として6つのテーマを取り上げ解説している.
2019年の著作であるが,解説されていることは今のニュースにもつながるものであり十分役立つ. 日々のニュースに対して興味を持ち深掘りするきっかけになる.
SNSに疲れた人へ
私は最近ほとんどのニュースをX(旧Twitter),はてなブックマーク,YouTubeで見ている. はじめの方だけ見てあとはそこにぶら下がるコメントで「いいね」がたくさんついているものに目を通す. 情報の発信元や真偽を確かめず,多くの「いいね」がついているコメントが正解だと思って理解した気になっている.
新聞の電子版などを契約しているが,楽なほうに流れていった結果だ. 簡単に白黒つけられない話題に対して明確な答えを求めているのかもしれない.
これは間違った情報を信じてしまうリスクがあるのはもちろん,メンタルヘルス的にも悪影響がある. 戦争やジェンダー対立,自然災害や著名人の自殺などただでさえ気持ちが沈みやすい話題が多いなか,SNSを通して感情が増幅された意見を見ると,余計に気持ちの浮き沈みが激しくなる. 楽に情報を得ようとした結果,他人の意見に振り回され疲れてしまっている感じがする.
まさに本書冒頭にある「ニュースの表面だけをみて振り回されている状態」だ. この状態から脱するためには,人を自由にする学問「リベラルアーツ」を学ぶべきだと著者は主張する.
リベラルアーツとは,ヨーロッパの大学で学問の基本とされた以下の7科目のことだ.
これを踏まえて著者は現代日本人に必要な科目は以下の7つだとしている.
- 宗教
- 宇宙
- 人類の旅路
- 人間と病気
- 経済学
- 歴史
- 日本と日本人
本書の出版後にはロシアがウクライナに軍事侵攻し,パレスチナでは武力衝突が起こった. コロナ禍では疫病が普段の生活に与える影響を思い知らされた. 各国が宇宙開発を進め日本は世界で5番目に月面着陸に成功した.
これらの出来事を踏まえると著者が提案する科目は普遍的で,現在そしてこれからの社会を理解する上で必要なものだと思える. とはいえどこから手をつけていいかわからない.そんな人におすすめできる一冊. お金とは何か,ポピュリズム,想像の共同体などニュースを理解するためのキーワードをわかりやすく解説している.
上述した7科目は,いつか時間を取って学びたいと思っている人も多いだろう. 今こそSNSやニュースから一度距離をおいて,手をつけ始めるタイミングかもしれない.
人類はどこからやってきたのか?「星を継ぐもの」ジェイムズ・P・ホーガン
月面で真紅の宇宙服を着た死体が見つかった.検査の結果,なんとこの人物は5万年以上前に死んでいることがわかった.
5万年前といえば旧石器時代でネアンデルタール人がいた頃だ.そんな大昔に月に到達する技術が地球上にあったはずがない.
- 「チャーリー」と名付けられた我々人類にそっくりなこの人物はどこから来たのか?
- 地球出身ならばなぜ高度な科学技術の痕跡が地球に残っていないのか?
- 現代を生きる人類とどう繋がっているのか?
など疑問は尽きない.
様々な分野の研究者が集まってこれらの謎を解いていく過程が描かれる.SFでありながらミステリー小説としても楽しめる.

太陽系規模の謎解き
チャーリーの発見後,国連宇宙軍の航行通信局(ナヴコム)が物理学,生物学,言語学,数学など様々な分野の研究者を集めて調査を開始する.そのうちの一人である原子物理学者のヴィクター・ハントは彼らを統率しチャーリーの謎を解き明かすことを命じられる.
発見された遺体や遺物にルナリアン,ガニメアン,ミネルヴァなどと命名し解析して判明した情報から仮説を立てる.研究者たちは各自の仮説に則って議論する.新情報が出るといずれかの仮説が採用され再び新たな疑問が浮かんでくる.この繰り返しで謎が少しずつ解明され,現生人類とチャーリーの関係が見えてくる.
研究者たちは少ない手がかりからあらゆる情報を明らかにしていく.チャーリーの細胞から彼の睡眠時間がわかり,それをもとに彼が住んでいた惑星の一日の長さや公転周期がわかる.さらにチャーリーが携帯していた装置のガラスの結晶構造から惑星の質量が計算できるなど,強引な部分はあるかもしれないがそんなことまでわかるのかと感心する.
各分野の専門家から出る意見は互いに矛盾するものもある.それらを組み合わせて独創的な発想で事実を見つけ出すのがハントの役割だ.
新たな情報が出てくるたびに仮説の内容が複雑になっていく.はじめはチャーリーたちの人種ルナリアン,地球と月くらいしか出てこないが,木星の衛星ガニメデや太陽系にかつて存在した惑星ミネルヴァなども登場する.時間のスケールが数万年単位と大きいこともあり,これらの関係性を理解するのに苦労した.真実が判明するまでの過程が面白い作品だとは思うが早く答えを知りたいとの思いで一気に読んだ.
調査結果は随時マスコミに公開されるのだが,報道されるまでに尾ひれがつき,聖書やピラミッド,アトランティスなどと結びつけて「実はルナリアンが関わっていた!」とする話が出て世間を賑わせていた.現実でも起こりそうで面白かった. ただ,チャーリーが見つかったばかりの頃はあまりにも不明な点が多いため,視野が狭くならないようあらゆる可能性を考えるべきというハントの言葉になるほどと思った.「ありえない」と切り捨ててしまうと真実から遠ざかってしまうおそれがある.
有能な上司 コールドウェル
チャーリーの謎を解き明かすために指揮をとる大ボス,コールドウェルのマネジメント能力には驚かされた. 例えばハントをナヴコムにスカウトしたとき,ハントが承諾するとすぐに今後の待遇や移籍の手続きなどテキパキと話を進めた.
ハントはふと、コールドウェルが三千年前に生きていたらローマは一日にして成ったのではあるまいか、と思った。 ジェイムズ・P・ホーガン. 星を継ぐもの 巨人たちの星シリーズ (創元SF文庫) (p.126). 株式会社 東京創元社. Kindle 版.
秘書からも「人を扱うことにかけては天才」と評されるほど上司としての能力が高い.すべてコールドウェルの筋書き通りに事が進んでいるように思えるほどだった.後から思い返すとハントをスカウトしたことから始まり,あらゆる判断が良い結果に繋がっているように思う.
研究者の中でも特に曲者である生物学者ダンチェッカーとハントはたびたび衝突していた.成果を出すには彼らを協力させるべきだがどうすればいいのか?
この問題をコールドウェルは太陽系スケールで解決する.SFならではの解決策が面白かった.
おわりに
月面で見つかった5万年前の死体から始まり,最終的には人類の進化の謎にまで発展する. 壮大な謎解きが終わった後,ラストでは遠い昔に起きた小さなドラマの結末が描かれており哀愁を感じた. SFとしてもミステリーとしても難易度高めだが読み応えのある作品だった.
三体 劉 慈欣
実写ドラマがNetflixで2024年1月から配信されるらしい.壮大なスケールの物語がどのように映像化されるのか楽しみ.
難しそうな中国SFで挫折しないか不安だったが意外にも読みやすかった.困ったのは登場人物のほとんどが中国人で名前の読みが覚えにくかったことぐらい.
物理学や天文学に関する専門的な内容は身近な例で説明されるのでわかりやすかった.専門知識はなくても楽しめるが,とにかくスケールが大きいため想像力が求められる.
章が細かく分かれており,タイトルもズバリ内容を表しているので後から読み返しやすい. レーダー峰,「科学を殺す」,アーキテクチャ人列コンピュータ,三体問題などワクワクするワードや設定がたくさん登場する. この1冊の中でそれらのタネ明かしもされるため読んだ後にモヤモヤはあまり残らない.

あらすじ
文化大革命真っ只中の中国で,物理学者であり大学教授の葉哲泰(イエ・ジョータイ)が自己批判を迫られるシーンから物語は始まる. 拷問を受けることになった原因の一つは講義の中で相対性理論を扱ったこと.革命を推進する人たちにとって相対性理論などは資産階級の理論であり打倒すべきものらしい.
たとえば、授業で使う物理法則や定数の名前を変えた。オームの法則を抵抗法則、マクスウェルの方程式を電磁方程式と呼び変え、プランク定数を量子定数と呼んだ……。おまえは学生たちにこう説明した。すべての科学的成果はすべての労働者大衆の知恵の結晶であり、資産階級の学術権威は、そうした知恵を盗んだだけだ、と。 劉 慈欣. 三体 (Japanese Edition) (pp.16-17). Kindle 版.
文化大革命は毛沢東が展開した政治運動で,全国で文化財の破壊や知識人の迫害が起こった.毛沢東を崇拝する学生たちは「紅衛兵」として過激な活動を行った.
紅衛兵,反動的学術権威などは架空のものだと思っていたが実在していた.史実にもとづいているとはいえ,文化大革命の過激で理不尽な描写は現実味がなくフィクションのように感じられる. この革命の中で葉哲泰の娘であり,主人公の一人である葉文潔(イエ・ウェンジエ)はストーリーの根幹に関わる気づきを得る.
つまり、人類のすべての行為は悪であり、悪こそが人類の本質であって、悪だと気づく部分が人によって違うだけなのではないか。人類がみずから道徳に目覚めることなどありえない。自分で自分の髪の毛をひっぱって地面から浮かぶことができないのと同じことだ。もし人類が道徳に目覚めるとしたら、それは、人類以外の力を借りる必要がある。この考えは、文潔の一生を決定づけるものとなる。 劉 慈欣. 三体 (p.32). 株式会社早川書房. Kindle 版.
科学を殺す
舞台は移り,文化大革命から40数年後.もう一人の主人公であるナノマテリアル開発者の汪淼(ワン・ミャオ)は警察関係者らに作戦司令センターなる施設に連行される.そこで今は戦時中であり敵の攻撃目標はエリート科学者だと聞かされる. 中国が他国と戦争しているわけではないため突拍子もない話を信じていなかった汪淼だったが,次第に身の回りで超自然的な現象が起きるようになる.そして敵の目的は「科学を殺す」ことだとわかってくる.
「ぼくはなにも知りませんよ。ただ、想像もつかない力が科学を殺そうとしているような気がします」 劉 慈欣. 三体 (Japanese Edition) (p.87). Kindle 版.
優秀な学者が「ありえない現象」に対して感じる恐怖は一般人の比ではないだろう.なにしろこれまで正しいとされてきた理論が信じられなくなり,研究してきたことが無意味だとさえ思えてしまうからだ.敵はこの学者が感じる恐怖,絶望を利用して着実に科学を殺そうとする.
オンラインゲーム「三体」
作中に登場するオンラインゲーム「三体」の描写が面白い.このゲームはヘッドマウントディスプレイと「Vスーツ」を着用してプレイする.Vスーツによりプレイヤーは三体世界の温度や風を感じることができ,ゲーム内のキャラクターと音声で自然な会話もできる.ブラウザでプレイできるようでURLは「www.3body.net」となっているが,実際にアクセスすると怪しいサイトに繋がるので試さないほうがいい.
恒紀と乱紀を繰り返す世界
「三体」の世界では太陽の運行が一定の恒紀とそうでない乱紀がある.恒紀は規則的に昼と夜が訪れ,気候も温暖で文明が発展しやすい.一方で乱紀は昼と夜がめちゃくちゃで太陽の大きさ(太陽までの距離)や軌道も不規則だ.そのため大気中の窒素や酸素までも凍る極寒の時期や地面が赤熱するほどの灼熱の時期もある.この恒紀と乱紀が繰り返し訪れるがそれぞれいつまで続くかわからない.
三体世界の人々
過酷な世界で暮らす人々は乾物のように体中の水分をすべて排出して脱水体になることができる.これはペラペラの皮のような状態で,水に漬ければもとに戻る(再水化).乱紀には一部の人を残して集団で脱水体となって倉庫に保存する.恒紀が来たら再水化して活動を始める.保存されている脱水体もろとも消滅してしまうような乱紀がきたら文明は滅んでしまう.この世界で太陽の運行規則,すなわち恒紀と乱紀を予測して文明を発展させることがプレイヤーの目的である.
ニュートン,ジョン・フォン・ノイマン,始皇帝
「三体」はマルチプレイで他のプレイヤーと協力しながら文明の発展を目指す.何度目かのプレイでワンミャオはニュートンとジョン・フォン・ノイマンに出会う.(ワンミャオ視点だとNPCのように思えるが中に人間がいるらしい) 二人は秦の始皇帝に会いに行く途中だった.ありえない組み合わせの偉人たちが会話する様子は面白い.
ニュートンによると微積分法により太陽運行の法則を解明できるが,計算量が膨大で世界中の数学者を使っても果てしなく時間がかかるという.しかし,ノイマンは3000万人の一般人がいれば計算できるという.そこで秦の始皇帝が持つ3000万の軍隊に目をつけた.読み書きもできない人間がほとんどであるのに一体どうやって計算させるのか?
始皇帝の前でノイマンは3名の兵士に白と黒の旗を1本ずつ持たせ,各自の役割を入力1,入力2,出力とした.そして入力の旗を見てその組み合わせにより旗を上げるよう出力担当に指示した.ここにANDゲートが完成した.
そう,この人間ゲート回路を組み合わせてコンピュータを作ろうというのだ.兵士たちは数通りの旗の組み合わせだけを覚えればよいため訓練に時間はかからない.なんと画期的な方法だろうか.
訓練の後,始皇帝の「計算陣形!(コンピュータ・フォーメーション)」の掛け声により「秦一号」が完成する.
「陛下の御意にしたがい、計算陣形を起動する!システムの自己診断開始!」ピラミッドの中腹あたりにいる、一列に並んだ旗手が、手旗信号で指令を発信すると、下方の大地の、三千万人から成る巨大なマザーボードが、水面で光がきらめく湖へと一瞬で変わったかのように見えた。数千万の小旗が揺れ動いている。ピラミッドのふもと近くに広がるディスプレイ隊形では、緑色の大きな旗から成る進行度表示線がじりじりと延びていって、現在進行中のセルフチェックがどこまで進んだかを示している。 劉 慈欣. 三体 (Japanese Edition) (p.273). Kindle 版.
エラーが発生した箇所は「修理」される.
始皇帝は長剣に寄りかかって口を開いた。「故障したコンポーネントを交換し、そのゲートを構成していた兵士は全員、首を刎ねよ!今後、故障があった場合は同様に処置せよ」 劉 慈欣. 三体 (Japanese Edition) (p.274). Kindle 版.
漫画「キングダム」で描かれる古代中国には様々な陣形が登場する.兵器がない時代の戦争において陣形は勝敗を左右する要素であり,これを工夫すれば組織の力を最大限に発揮できる.しかし,まさか「計算陣形」なるものが出てくるとは驚いた.フィクションとはいえ組織の力の可能性を感じられる.
「古代中国で始皇帝,ノイマン,ニュートンがコンピュータを作る」この設定だけでも十分面白い.

終わりに
物語としてはまだまだ序盤といった感じで続きが気になる終わり方だった. とにかくスケールが大きかったが続編はさらに壮大になるらしいので期待したい.


